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うさが日常思うことをはき出すブログです。うさの魂の避難所です。表世界で波風たてずに生きるために、ここでヨイもワルイもはき出してます。
2018年04月27日 (金) | Edit |
最近ユーミンがベストアルバムを出すということでよくテレビに出てきて、ベストソングだとか語られていますね。

ユーミンは山ほどの名曲を世に送り出していますから、多くの人がそれぞれのベストソングを持っているでしょうし、ユーミンのすべてを追っているわけでもない私だって、世代的にドンピシャなのもあり、ベスト10ですら選び出すのが困難なほどです。

…で、まぁベストは選びきれないんですけど(笑)。
ただ、私の人生観というか、考え方にとても影響を与えた曲があって、今日はその曲についてを自分の回顧録というか整理も兼ねてまとめておこうと思います。






その曲が、「つばめのように」です。

初めて聴いたのはいつだったか…。小学4年生くらいの時のイメージですが、多分8つ年の離れた姉がレンタルしてきてカセットテープに入れて聴いていたものだと思います。カセットレーベルにOLIVEと万年筆で書かれた青い文字が懐かしく思い出されます。…今の子、カセットレーベルっていうのもなんのことだかわからないかもね(笑)。

上記のとおり年の離れた姉兄がいたこともあって少々早熟だった私は、幼いころから同級生と感覚が合わず、上手に付き合うことができませんでした。こちらが相手を少々見下していましたから、当然周りからは嫌われ、仲間外れのようなこともありました。今思えば私が立ち回りが下手だったわけですが、子どものころは自分が正しくてまわりがおかしいという感覚ですから、非常に生きにくいというか、違和感を覚え始めた頃です。そんな頃にこの曲を聴いたわけです。

最初は、自殺をテーマに歌うなんてすごいな…という印象で、でも、生きにくさを感じ始めていた私は「自死」というものもおぼろげに考えていてたところだったので、そのことについてちゃんと考えるきっかけにもなったかもしれません。もちろん自分が死ぬということじゃなくて、自ら死ぬとはどういうことなのか、ただ死ぬというだけじゃない意味について、考えたということです。

それで興味を惹かれて繰り返し聞くうちに、なんだかとても腑に落ちたというか、自分にとって心地いい、自分と人との距離感を覚えた気がします。自殺の歌だけど、自分と他人との関係の根本を自分の中に確立できた気がして、死を選ばなくても生きていけそうだと思えたというか。

あの歌から感じたのは、人の死は所詮他人事であるということです。でもその言葉の中には、「他人事」だけじゃなく、寄り添いきれない寂しさ=寄り添いたかった気持ち=優しさもあると思うのです。

「誰かが言った あまり美人じゃないと」や「薔薇のように舗道に散ったしみを 名も知らぬ掃除夫が洗っている」は当然あきらかな他人事です。

一方で、「高いビルの上からは街中がみんなばからしかったの」や「裏切った恋人のせいじゃない」は、死んだ「彼女」にとても寄り添っている。それでも、それはあくまでも歌の主人公の主観であって「彼女」の本当かどうかはわからない。

そして「どんな言葉に託そうと 淋しさはいつも人の痛みなの」と感じる、主人公の切なさというか、やりきれなさというか。自分が彼女を理解しきれないと感じると同時に、自分の気持ちも決して他者には理解されないと感じるってこと。

それでも主人公はそこにとどまることなく生きていくわけです。「束の間彼女はつばめになった」には、少なからぬうらやましさ、もしくは、彼女が生きているうちに最後に束の間感じられた自由に対する“良かったね”感みたいなものがあり、そこには、他人事とはいえほんの一瞬だけ共有できた感情というか感覚というか、そういうものがあるように思います。

けれども、主人公はそこからまた他人になるわけです。「彼女は年を取らず 生きていく私にはきれいだわ」

この歌を聴いて私は、親友同士だって決してすべては理解できないし、逆に例えばそんなに親しくなかったとしても、瞬間共有できる感覚があったり、また瞬間他者に影響を与える行動もあるんだろうな、と考えるようになりました。

そして、私にはその距離感がちょうどよかった。すべてをわかりあうこと、共感しあうことが仲間であり、それが大切だと強調されがちな小学生の頃に、そうじゃない距離感もありだ、と思えたことで、その後の仲間外れ人生もだいぶ救われました(笑)。その後、大人になる過程で、他の歌や小説、まんがなどを通して、「私は私」を身に着けましたが、その原点に近いところに、この曲はあります。

だから私は今も、人の死に対して、多分少々冷たいです。もちろんあえて口にしたり態度に出したりはしませんし、距離感によっては「悲しい」「辛い」気持ちは普通にありますよ。幸いあまり身近な人物がまだ誰も亡くなってないけれど、それでも、一回り外側くらいの友人関係の中では亡くなった人はいるし、その人の無念を考えれば切ない気持ちにはなります。その人の夢だったり残された家族だったりね。

でも「淋しさは人(他人)の痛み」ということは、私が感じる痛みもまた、他者からみたら「人(他人)の痛み」であって、私の痛みは私の痛みでしかないのです。例えば、友人がペットを亡くして悲しんでいるのを見ている私も悲しいですが、彼女の「悲しい」と私の「悲しい」は別物なんだよな、と思うということです。だから、「冷たい」と言われるのは心外なのですが(私自身は本当に彼女の辛い顔を見ているのが悲しいので)、でもそれはあくまでも私自身のことなので、それを面に出すことがいいことなのか悪いことなのか…気が引けるのです。私が勝手に感じる痛みが、その人の負担になってはいやだな、と。ただ、今、ただ一人「親友」と言える友人は、私のその気持ちも含めてわかってくれるので、例えば彼女自身が私の悲しみ方が的外れと感じたとしても、「うさは私を思って悲しいと感じてくれてるんだろうな」ということを理解して許してくれるので、全幅の信頼を置けるのです。親友とは、一定距離を離れた状態で包括的に信じてくれる人なんだな、とそれは大人になって思うようになったことです。


ユーミンの曲は、人それぞれに語りどころが満載になる、誰か自身の曲になれるから、人気が出るんでしょうね。俳句に近いのかもしれません。ひとつの情景を描いていながら(具体的であれ抽象的であれ)、それを聴く人が自分の体験や感覚に持っていきやすいんだと思います。主人公の具体的な行動などが歌になっていても、自分語りにならず、どこかに客観性というか距離感があるから、聴いている人が入り込みやすいんですね。それがなぜなのかとか、自分語りの曲と何がちがうのかとかは素人にはわかりませんが、NHKとか関ジャムとかでプロに掘り下げてもらえば、それなりの違いが出てくるんじゃないですかねー。

何にしても、もうすでに、一生繰り返して聴き続けられる名曲が山ほどあるユーミンですが、これからも名曲を生み出して欲しいですね。

ついでに言うならユーミンの、何歳になっても美しい体型を維持している努力に感服。決して一般的な美人じゃないですが、コケティッシュで個性的な美しさは、持って生まれた雰囲気と、内面からにじみ出るものだろうし、それを努力で維持し続けるというのは本当に素晴らしいことだと思います。私も、素地は違いすぎるとはいえ、自分なりに努力をせんといかんなぁ…。まぁそんなに生きることに情熱がないんで、こう思うのは一瞬のことで、またどうでもよくなると思いますけど(半世紀近く生きてると自分の性質はよくわかってるし、それが変えられないのもわかってます)。

以上
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