うさが日常思うことをはき出すブログです。うさの魂の避難所です。表世界で波風たてずに生きるために、ここでヨイもワルイもはき出してます。
2015年11月05日 (木) | Edit |



突然ですが、私は今幸せです。
そう思うことを自分に許しました。

かといって、別に生活に不安や不満がないわけではありません。でも、不安や不満があることが必ずしも不幸なことじゃないと思う程度には幸せなんだろうなと痛感したので、それでいいじゃんって思うことにしました。

なぜそう思うに至ったか、また、それを敢えて備忘録に記載しようと思ったかですが、色々な出来事や参考にしたアドバイスなどがあります。

















まず一番には、とにかく最近、私は人に恵まれているなぁと再確認することが多いことです。昔からそれは知っていたし、親にも「お前は人に恵まれてかろうじて生きている」くらいのことも言われてます(笑)。そして今、新潟を離れることが決まって、あらためてたくさんの友人に囲まれて、よくしてもらってることを痛感します。

私には新潟に第二の家族といえるほど良くしてもらっている家庭が2つあり、若いころからずっとよくご飯をごちそうになったり農作物をいただいたりと心配してもらっています。前の職場の同僚とも年に2-3回ですが飲みに行ったり遊びに行ったりしています。親友が所属するアマチュアバンドのお兄様たちにも「うささんもファミリーらっけ」といって良くしてもらうし、その流れで小さい音楽イベントで私も歌わせてもらったりします。昔の職場の同僚も、職場を離れても年に何回か飲みに行ったり遊びに行ったりしますし、今の職場は、一人ちょっと辛い同僚がいるのですが、他の同僚とは逆にその分結束力が強くなり、一緒に闘う勇気も出てくるし、普通に楽しく飲みに行くようにもなりました。また最近始めた趣味でも、指導の立場の人や先輩、同じ時期に始めた仲間など、みなさんによくしてもらっているし楽しい時間を過ごしています。

「友達がいる」ということは、あたり前のことのようで、なかなか「有難い」ことだと思うのです。「親友」と呼べる人は私には一人しかいませんが、そのほかの全ての友人も「大切な」友人で、お互いにお互いが幸せであれと願える相手です。だいたいが仕事を通じて仲良くなった人たちですが、一緒に働く人に「うささんは働きやすい人」と思われ、プライベートでも「楽しい人」と思われるのはとても光栄なことです。ああ…私って、幸せ、と感じるその①です。

次に、最近夫が離れていることもあって、独身時代のオタク気質が完全復活したことです(笑)。結婚した時に、夫の手前もあるし、実際日常が忙しくなったこともあって、しばらくオタクな感じは弱まっていました。その間、V6もずっと好きでいたけど露出が少なかったこともあり、気持ちはそんなに盛り上がらないとか。でも夫がいなくなり暇になり、V6も20周年で露出が多くなったし、なんとなくヲタ気分が盛り上がったところに、手下沼にはまるという痛々しいことに(笑)。正直、手下にハマった自分には自分でもびっくりしたし、本当にイタいヤツと思いました。旦那がいなくて、実感はないけど実はさみしいのかな、とか。ただ、それを、私は某友人に否定してもらいました。そして自分のヲタを肯定してもらい、非常に腑に落ちました。
友人自身はヲタではありません。彼女自身は俳優やアイドルやアニメやなんや、人が楽しんでるのはいいなと思うけれども、自分は夢中になれないのだそうです。だからなのか彼女は、「オタクと言われる人は、世間的にどんなに痛かろうと、自分自身は幸せなのだから、それは素晴らしくうらやましいことだ」と。もちろん、生活が滞るようでは問題ですが、私のように社会生活はそれなりに出来ているのなら、オタク心理自体は自分のQOLを向上させるすばらしいことだと。そう肯定してもらって、すごく納得したんです。私、夫といる時よりも、V6の20周年ライブで泣きそうになったり、レディオドラマや手下にハマって萌えたり、ついにそれらの中の人のイベントに行ったりお芝居見ることにしたり、ツイなんか見てその人たちが毎日「今日もがんばるぞー!」と言いながら撮影に行ったり稽古したりしている話を聞いてはその情熱に憧れてたりしている今がとても楽しいんです。…長いっ(笑)。でもそんだけ、オタク全開で楽しいことを追い求めているっていうことです、楽しいです。確かに他人が見たら痛々しいことこの上ないけど、私自身のQOLは非常に高い!オタクの魂百までを貫いていいんだと気づかせてくれた友人には本当に感謝しています。これが、その②

とはいえ、やはり私には夫が大切です。彼に出会え、かつ結婚できたこと(一緒にいられること)は、幸せだと思います。正直私、彼に出会えずに一人でいたら、それはそれで幸せだったと思います。ヲタ街道まっしぐらで、かつ、普通に友人にも恵まれ、もしかしたら生活は大変だったかもしれないけど、でも私一人が生きていければいいなら、そこそこ何とかなったと思います(40歳まではそうだったんだから)。
だから実は、そういう面でいえば、旦那がいることで時間が割けなかったりして、「本来の私」としては結婚したことは不幸だと思います。もし、独身時代と結婚後の「幸福度」を客観的に測ったら、絶対独身時代の方が幸せと言いきれます。でもそこは、恋愛、結婚の不思議だと思うのですけど、「客観性」とは別の価値がそこにはあるんですよね。言葉にはできませんが、彼が私の「幸福度」をある点で下げていても、それでも彼がいること、彼が私を思ってくれることや私が彼を思うことは、かけがえのないことなんです。そういう相手に出会えたことは、本当にラッキーで幸せなことだと思います。これがその③。

さて、でもこれまでは、そのいずれに関してもどこか後ろめたさを感じていました。なぜなら、他人と比較したら私の幸せは、特筆するほどの幸せでもないからです。と同時に、私の幸せは他人と比較したら、嫉妬もされかねないほどの大きな幸せかもしれないのです。実はこの後者で、友人と疎遠になったフシがあるのです。実際の理由はわからないのですが、今はその友人からは個人的な連絡が途絶えています(グループメールは回ってくるけど)。彼女と最後に話したのは、私が新潟を離れなくちゃいけなくなったという愚痴で、私も悪かったと反省していますが、その時に彼女に「結婚して養ってもらってるんだから夫の両親のめんどうを見るのは当たり前」というような内容のことを言われ、ショックを受けたのです。私の方から疎遠になるつもりはないから彼女の誕生日にはメールをしたけど、グループ全員メールとしての返信があったきり。私の誕生日に他の友人たちからはメールがありましたが彼女からはなし。

私は彼女のことが大好きだったので、理解しあえていなかったことがショックでしたが、彼女には彼女の状況があり、その状況下での考え方があると思いますし、私もあの時はあの時の考え方でした。その時の私は自分を幸せと思えず(むしろ不幸だとすら思っていた)愚痴ってしまったわけですが、彼女のその時の価値観では、好きな男と居られて生活の心配もなく自由に遊んでもいるのに贅沢言うな、だったと思います。確かに、それもごもっとも。でもだからといって、その時の自分の悩みを贅沢だなんて思いません。私にだってその時の幸せをまもり、かつもっと幸せになる権利はあるはず。その時の状態では、新潟を離れることは私の幸せを減じることだったんだから、不幸だと思ったっていいじゃないか。

友達とは、お互いに思い合える人のことだと思うから、彼女が私のことを理解出来ないというのであれば、何も私が彼女の理解の範疇にはいる努力をする必要も意味もないわけで、今はちょっと縁が薄れてるってことだと思っています。またある時がくれば、縁があるなら復活するさ。

自分が幸せであると認めた今は、私は多分新天地でも幸せになれる気がしています。新潟で培った人間関係は、もちろん、私が若かったから出来たものだとは思います。だけど、基本的に人に対するスタンスは変わらないから、歳を重ねたら重ねたなりの人間関係はまだまだ作れるはずなんです。多分それは、歴代の友人に会い、そして今の職場の同僚や新しく始めた趣味の友達とも新たに親しくなることが出来たことからの自信だと思います。うん、自信、大切ですよね。

そう思わせてくれた、新潟での友達ありがとう!そして今後離れても、どうぞよろしくお願いします。



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